2012年7月4日水曜日

お待たせしました!新宿オペレッタ劇場再開いたします。


新宿オペレッタ劇場プロデューサーでございます。
最後の『新宿オペレッタ劇場17』公演が平成21年11月26日。
あれからまる3年のご無沙汰となります。
その間、お客様からは「新宿オペレッタ、なくなったの?」「どうしてやってくれないの?」「さぼってちゃダメよ!」などなど、励ましやら、催促やら、お叱りやら、いずれにしても再開を希望するお声をずいぶん頂戴しました。
また勝手に私が『オペ劇ファミリー』と呼んでいる、これまでの出演者のみなさんとは、この間、忘年会や暑気払いと称して何度か宴をするたびに、「早く『オペ劇』やれ!」と叱咤されてまいりました。
プロデューサーとしては本当にありがたく、また、頑張らなくては!と思いが日々募り、今年の正月に決断。ようやく3年の月日を経て再開の運びとなりました。
ファンの皆様はご存知のように、『新宿オペレッタ劇場』の売りは何と言っても“埋もれた作品の発掘”。テノールの近藤政伸さんは、以前、私のことを“オペレッタ界の吉村作治”と呼びました。発掘ばっかりやってる…と。私としては身に余る褒め言葉(歌手の方々は見たことも聞いたこともない作品ばかりやらされるので、かなり皮肉を含んでいたようですが…)、これぞ『新宿オペレッタ劇場』の醍醐味なのです。が、そういう演奏会を作るためには楽譜の収集や、楽曲の選択、訳詞の作成、歌手の稽古…と、まあ、それはそれは普通の演奏会の数倍の労力を要するのです。
お客様に聞かせるお話ではないにしても、この演奏会の裏で起こっている出来事こそ、私がなかなか劇場再開に踏み出せなかった本当の理由です。

ですが、今年の正月、私は決断しました。

久しぶり、たぶん3年ぶりに私はウィーンに行きました。
お気に入りの市立公園の散策、ニューイヤーコンサートで疲れ果てたウィーンフィルが気の抜けた演奏をした国立歌劇場の『フィガロの結婚』、どこで食べても大きくて食べ応えバッチリのシュニッツェル。ウィーンはいつもと変わらぬ顔で迎えてくれました。
そして私がウィーンに行くと必ず寄る所がもう一つ。楽譜屋さんのドブリンガーです。シュテファン教会からほど近くの小路に入ったところに静かに佇む、音楽好きなら一度は行きたい楽譜屋さん。出版されているオペレッタの譜面なら、ほとんどそこで手に入ります。でも、私が行くのはそこの古書部。一橋大学大学院の田辺先生に伺って以来、通い詰めているのです。私が行くときは事前に連絡をしておいて、面白い楽譜を準備しておいてもらい、私は、宝物の山に囲まれて至福の時を過ごすのです。
ところがその古書部の様子が今年、ちがいました。
事前に送ったメールには、何故かいつものような返事が来なかったのです。
あれ?アドレスでも変わったのかな?
ま、でも行ってみればわかるか、と、ドブリンガーを訪ねてみました。
すると、店員曰く「古書部は閉鎖しました」。
…言葉もありません。
ドブリンガー古書部は経営上の理由から閉鎖され、スタッフがその建物の階上の一室で、古楽譜屋を開いているとのこと。私は心配な気持ちいっぱいで、その部屋の扉を開けました。少し広めの整理された部屋の中に昔のスタッフはいました。でも、もう昔のように貴重な楽譜は集まらなくなってしまったと言うのです。私がその昔、ドブリンガーの古書部に丸二日居座って、店番をしながらオペレッタの楽譜にかじりついていたのを知っている彼は、悲しそうな表情を浮かべました。なんだか申し訳なくて、ちょっと辛くなって、40ユーロほど僅かな楽譜を手に入れ、30分ほどで私は店を後にしました。もう、ウィーンでも頼れる場所はないのかも…。
そのとき私は思いました。私にこれまでたくさんの宝物を売ってくれた彼のためにも、そして楽都ウィーンの遺産のためにも、その貴重な楽譜たちを世に出そうと。本棚に眠らせてはいけない。音楽は奏でられ、人々に聞かれてこそ命を与えられるのだと。

これが『新宿オペレッタ劇場』を再開するに至った本当の理由です。
インターネットや携帯電話の普及で情報がものすごいスピードで世界を駆け抜ける現在、少しカビのにおいのする古い楽譜を世に送り出す、じつにアナログで手作りな作業ですが、どうか楽しみに見に来てください。聞きに来てください。ウィーンか、ベルリンか、ブダペストか、どこかヨーロッパの片隅に眠っているオペレッタ作曲家たちの思いを受け止めていただければ、プロデューサーとしてこんな幸せなことはありません。

皆様のご来場をお待ちしております。


ザルツブルグ~ウィーンを結ぶ格安鉄道ヴェストバーン


開通間もなくなので清潔車内


映画「第三の男」で知られるプラーター公園の観覧車


観覧車から望む正月のウィーン


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